ちくしの混声合唱団

福岡県筑紫野市で活動している「ちくしの混声合唱団」です。
毎月3回、木曜日か金曜日、19時から21時、筑紫野市文化会館を拠点に練習しています。
現在メンバーは40名程。主婦、サラリーマン、学校の先生、OL、学生さん等々。
老若男女何方でも、いつでも練習参加、見学、入団できます。

合唱経験の有無は全く関係ありません。
初心者の方、大歓迎です。
楽譜が読めない方も、とりあえず読んで歌えるようになります。
是非お気軽にお出で下さい。

お問い合わせは、このブログにコメントをお願いします。

11月2日の練習

1900(25)基礎
1925(15)讃美歌ARA読み
 85.主の真理は
1940(18)水のいのち
 3.川
1958(08)休憩
2006(54)水のいのち
 4.海
 5.海よ
 1.雨
 2.みずたまり
------------------------------------------------------------
譜読み三昧の練習です。
讃美歌をLaや歌詞で歌う以外は全部ソルファ(ドレミ)。
イイですねぇ。


母国語日本語でも、一番身近な外国語の英語でも最初から流暢に喋れる奴なんて一人も居ません。
誰でも、何度も間違ったり言い淀んだりしながら、簡単な言葉から、そして次第に複雑な文章、そして場合によっては一般の人間には分からないような専門用語や表現を使いこなせるようになりますよね。
そこまで辿り着くまで、日本語だって日々何千、何万の言葉を発してきたはずです。
しかも自分では正しく喋ったつもりでも、それが人にちゃんと伝わることさえも実は難しい。誤解は常に起こる、というより人は殆ど誤解すると思った方が良い。それぐらい普段使っている言語と言うコミュニケーションツールさえ、実は不完全で難しい。
いわんや音楽の言語は・・・
しかし反面、それに比べたら、まだ音楽の言語はずっとシンプルです。具体的な物事を伝えるには向いていないけれど。
つべこべ言わずにまずは喋り捲る。数歌う。声にする。多少間違って特に誰も殊更咎めるわけじゃない。自分自身で「あ、間違った」と思いさえすればそこに進歩がある。(自分は偽ってはいけません)


もう一つ、人とコミュニケーションを取る時は、人の話を良く聴けと言いますが、音楽においても全く一緒。
自分勝手に喋り捲るのは、どんなに喋れてもそれは会話にならない。
音楽も人の会話と全く一緒で、自分が声を発する以上に、人の音を聴く方に神経を向ける。
これが意外と難しい。特にある程度歌えるようになってくると。それも会話と一緒。
本当に上手い歌い手、器楽奏者は聴く事に徹しています。その上で、自分の出すべき音をどう出したらいいか考えた上でしっかり出す。


進歩する伸びしろは限りなくありますし、やり続けている限り必ず進歩します。
1回歌えば必ずその分の進歩がある。10回歌えば、100回歌えば・・・
どこかで書いたかもしれないけれど、宮本武蔵が「五輪書」の中で、鍛錬の事を、千日の稽古を鍛とし万日の稽古を錬とする、と書いています。
道の習得に近道なし、愚直に行く以外に王道なしです。
それを楽しんで行きましょう。
------------------------------------------------------------
【11月16日】30
1900(20)基礎
1920(20)讃美歌ARA読み
 86.み神の恵みは
1940(15)1ステ
 荒城の月
1955(15)連絡・休憩
2010(50)水のいのち
 4.海
 5.海よ
 1.雨
 2.水たまり
 3.川

10月26日の練習

1900(23)基礎
1923(12)讃美歌ARA読み
 84.神に頼り
1935(22)水のいのち
 5.海よ
1957(13)連絡・休憩
2010(50)水のいのち
 5.海よ
 1.雨
 2.水たまり
 3.川
 4.海
------------------------------------------------------------
まずは、ハーモニーフェスタ、お疲れさまでした。
短い練習期間で結構大変だったと思います。
本番は事故もありましたがそれも含めて楽しかった。
勿論、音楽的に、今までにない良さもあって、着実に進化していると思います。
練習中にもちょっと言ったと思いますが、音楽は、例え合唱の様に大人数でやったとしても、結局個人のもの、自己責任で行うものです。
誰かにやって貰うものではなく、自分でやるものですね。
そういう意味では、最終的には自主性を求められる。
本番で間違えるのも、一種の立派な自主性の発露です。
その自主性が、切羽詰まった本番ではなく、日頃の練習から普通にどんどん出てくるともっと良くなると思います。


さて、いよいよもう次の定演に特化した練習に入ります。
その前に、讃美歌ARA読みをやりましたが、これは出来るだけ引っ張ります。
今回は、初見読譜の練習は、カノンはやらずに、この讃美歌ARA読みに絞ろうと思います。
全員で旋律を歌い、内声を歌い、バスを歌うということで、良い音程で美しく旋律を歌う事、そして美しいハーモニーを感じて歌える事をさらに身に着けていけたらと思います。


定演の曲は、まずは水のいのちを中心に。
やりかけの「海よ」からスタートしました。
勿論、アカペラの初見では難しい曲ですが、それにしては結構歌えていたと思います。
こういう取っ掛かりの練習は、例えグチャグチャになっても、兎に角ドンドン先に行くことが大事です。
そのうち必ず次第に歌えるようになります。
出来れば、最初は、音符に移動ドのドレミを書き込むとより早く歌えるようになると思います。
その後、最初にもどって「雨」から行けるところまで行きました。
勿論、前回の初見からもう随分時間が経って、忘れている感じでしたが、それで良いんです。
憶えて歌うのではなく、その都度、音を取る感覚で歌う方が良いと思います。
勿論、そうして次第に覚えていくわけですが。
最初は大変ですが、この今の過程がある意味一番大事です。
「自分で音を取る」勿論、全部は完ぺきには無理で、周りに仲間が居るから相互に助け合いながら取るわけですが、そこが合唱団の良い所です。つまり「自分たちで音を取る」
他の人からピアノなどで音を与えてもらうのではなく、あくまで合唱団が「自分たちで音を取る」という過程こそが、単なる音取りの方法としてではなく、一つの音楽ユニット、バンドとして、一番大事な過程で、そこでそのバンドのある意味根本的な音作りが成される、といっても過言ではないと思います。
今の過程を楽しんで行きましょう。時間は(今のところ)十分にあります。
------------------------------------------------------------
【11月2日】31
1900(20)基礎
1920(15)讃美歌ARA読み
 85.主の真理は
1935(20)水のいのち
1955(15)連絡・休憩
2010(50)水のいのち


 3.川
 4.海
 5.海よ
 1.雨
 2.みずたまり

10月19日の練習

1900(20)基礎
1920(35)ハモフェス
 眠りの精
 Shenandoah
 鯉の瀧のぼり
 Ave Verum Corpus
1957(18)連絡・休憩
2015(45)ハモフェス
 Ave Verum Corpus
 Frölich fangt alle an(Kanon)
 眠りの精
 Shenandoah
 Ave Verum Corpus
 上を向いて歩こう
 Shenandoah
------------------------------------------------------------
ハモフェス前最後の通常練習。
まだバタバタしてます。
とても余裕をもって望む状態じゃない。
下手すると大事故も起こるかもしれない。
その緊張感と危機感を持ってリハーサルと本番に臨みましょう。
集中力、最後はこれに尽きます。
------------------------------------------------------------
【10月21日ハモフェスリハ】
1430(20)基礎(多目的ホール)
1450(30)ハモフェス(多目的ホール)
1520(10)移動
1530(40)ステリハ(大ホール)


 眠りの精
 Shenandoah
 鯉の瀧のぼり
 Ave Verum Corpus
 Frölich fangt alle an(Kanon)

10月5日の練習

1900(20)基礎
1920(37)ハモフェス
 眠りの精
 Shenandoah
1957(13)連絡・休憩
2010(50)ハモフェス
 鯉の瀧のぼり
 Ave Verum Corpus
 Frölich fangt alle an(Kanon)
 上を向いて歩こう
 Shenandoah
------------------------------------------------------------
ハモフェスまで残りの通常練習は1回、あとは前日リハと本番。
もしかしたら、何となく、時間の無い所をバタバタとせわしなく、おっつけ仕事の様にやっている感じがするかもしれません。
しかし、それは違います。
逆にこのペースが普通になってくると良いと思います。


音楽は生ものです。
練習すればするほど、鮮度が落ちます。
勿論、沢山練習をする必要があるものもありますし、全部が無駄ではない。
でも、楽曲の練習は、本当は出来るだけ短時間に効率よく仕上げた方が良い。
但し、その為の下準備には時間を惜しまない。


今のハモフェスのレパの音は、勿論荒っぽいけど、非常に新鮮です。
面白い。
何とかこの鮮度を保ちながら、音楽的精度を上げたい。


将来は、こんなペースで、しかももっと音楽の精度が高くなるようになりたいし、そうなれると思います。
その為には、基礎の力を付ける事、そしてまずは数をこなすこと以外に無いと思います。
------------------------------------------------------------
【10月19日】②
1900(20)基礎
1920(35)ハモフェス
1955(15)連絡・休憩
2010(50)ハモフェス


 眠りの精
 Shenandoah
 鯉の瀧のぼり
 Ave Verum Corpus
 Frölich fangt alle an(Kanon)
 上を向いて歩こう
------------------------------------------------------------
【10月21日ハモフェスリハ】
1430(20)基礎(多目的ホール)
1450(30)ハモフェス(多目的ホール)
1520(10)移動
1530(40)ステリハ(大ホール)


 眠りの精
 Shenandoah
 鯉の瀧のぼり
 Ave Verum Corpus
 Frölich fangt alle an(Kanon)
------------------------------------------------------------
≪10月22日ハモフェス≫
場所:筑紫野市文化会館大ホール
時間:出演/15:24、開演/13:00
曲目:
 眠りの精
 Shenandoah
 鯉の瀧のぼり
 Ave Verum Corpus
 Frölich fangt alle an(Kanon)
 上を向いて歩こう(合同演奏)
タイムテーブル:
 14:30頃声出し(和室、着替え済)
 15:10頃移動
 15:24本番
 17:30打上

9月28日の練習

1900(20)基礎
1920(36)ハモフェス
 眠りの精
 Shenandoah
 鯉の瀧のぼり
1956(12)連絡・休憩
2008(52)ハモフェス
 Ave Verum Corpus
 Frölich fangt alle an(Kanon)
 上を向いて歩こう
 Shenandoah
------------------------------------------------------------
合唱団によっては、「自宅で予め音を取ってきて、或いは自宅で練習してきて、でないと仕上がらないよ」という団体があります。
それは予習だったり復習だったりですが、要は自宅練習、或いは自主練習ありきの団体です。
実際、九響合唱団なんかまさにそうですね。
それは、例えば練習をする立場からすると、勿論有難いことだし、確かに全体の仕上がりは早い。
全体の練習では、アンサンブルの事を中心に考えれば良い。
でも、私はあえてそれを強く推奨するつもりはありません。
やりたい人はやればいい、或いは、自分でやる必要があるなと思う人はやればいい。
日常の生活の中で、少しの時間でも楽譜を開いて、たとえ音を出さずとも音楽の事を考える事は、素敵な事です。
でも、それが義務の様になってしまっては、本末転倒。
あくまでその時間が好きな趣味の時間の一つにならなければいけない。
ある知り合いの主婦が、料理を作りながら鼻歌で練習するのが楽しい、と言っていましたが、そういうのが理想的かもしれない。
しかし、基本はみんな忙しい日常を送っていて、そんなことすら思い浮かばないことが多いでしょう。
逆に、だからこそ、そういう忙しい時間を癒すために、週に1度程度、特別に時間を作って、わざわざ足を運んで参加費を払って練習に来て音楽を楽しむわけです。


アンサンブル全体の事を考えると、厳しく言えば、そこにたとえ一人でも音が取れていないメンバーがいると、乱れが生じます。
なので、集まって歌う時に、みんなが気持ちよくアンサンブル出来る為には、個人のそうした責任はどうしてもある程度免れない。
とは言え、我々はアマチュアなので、様々な音楽的レベルと、様々な生活のバックグラウンドを背負って、その上で集まって楽しんでいますから、その点に関しては、当然、お互いに寛容でないといけません。
逆にその上で、個人としてどう考えるかというのもあります。
陳腐な言葉になりますが、これこそ所謂「思いやり」だろうと思います。


その上で、前に戻りますが、だからと言って、出来ていないところを必ずしも自宅で見て来いとは言いません。全体の事を考えて「出来れば見てきて欲しい」とは言いますが。


それよりも大事なことは、練習のその場で、なんとかしようと必死に足掻くことです。
例えば自分のパートの練習をしている時は、他のパートの人たちの時間を、完全にとは言わないまでも無駄にしています。そうすると厳密に言うと同じ参加費を払っているのに、与えられる歌う時間に差が出来てしまうわけです。勿論、これは全体の事を思えばそれも仕方のない、必要な事ですが、しかし、そういう自分(達)の練習をしている時に、もしかしたら人の時間を無駄にしているかもしれない、と考える意識は必要です。
だからこそ、後で持って帰って歌える様にしようではなく、その場でなんとかしようと頑張る姿勢が肝心です。
ちく混の皆さんにそれが無いとは言いません。むしろ多分他の団体に比べると、譜読み中心の練習をしているので、そういう意識はとても高いと思います。
でもまだ甘いかもしれない。


私の恩師の藤井先生もそうでしたが、かの炎の指揮者、コバケンこと小林研一郎先生も、同じ事を3回間違えるのを許してくれませんでした。
3回間違えると、お二人とも全く同じように「君達は何か私に悪意があるのか!」と怒って怒鳴って言われました。
ビビりましたね。
でもそれは後から良く考えると、3回間違えた、その技術の足りなさに対する叱責ではなく、その間違いを、1回目より2回目、2回目より3回目に、その場で必死に何とかしてリカバリーしようというその姿勢のなさ、甘さが、何より問題だったんです。
そしてそれは、4回、5回と何度やっても結局できない可能性が高くなるということ。
また、その時、心のどこかで「後でなんとかしよう」と思っているわけですが、その「後で」は大体もう永遠に来ないということです。
まず何より、「その場で何とかする」という強い意志がとても大事だという事ですね。


話がデカくなりますが、大体、人の人生は間違いの連続のようなものですから、「いつも2秒に一度反省(藤井先生談)」して、少しでもその場で修正しながら精進したいものです。


練習の時間自体が、そういうことも含めて人生の中の充実した一時の時間になると良いと思います。


------------------------------------------------------------
【10月5日】③
1900(20)基礎
1920(35)ハモフェス
1955(15)連絡・休憩
2010(50)ハモフェス


 眠りの精
 Shenandoah
 鯉の瀧のぼり
 Ave Verum Corpus
 Frölich fangt alle an(Kanon)
 上を向いて歩こう