ちくしの混声合唱団

福岡県筑紫野市で活動している「ちくしの混声合唱団」です。
毎月3回、木曜日か金曜日、19時から21時、筑紫野市文化会館を拠点に練習しています。
現在メンバーは40名程。主婦、サラリーマン、学校の先生、OL、学生さん等々。
老若男女何方でも、いつでも練習参加、見学、入団できます。

合唱経験の有無は全く関係ありません。
初心者の方、大歓迎です。
楽譜が読めない方も、とりあえず読んで歌えるようになります。
是非お気軽にお出で下さい。

お問い合わせは、このブログにコメントをお願いします。

1月18日の練習

1900(17)基礎
1917(15)讃美歌ARA読み
 89.み神のみ旨は
1932(20)1ステ
 Ave Verum Corpus
 (ソルファ、歌詞)
 荒城の月
 (ソルファ)
1857(15)連絡、休憩
2012(13)1ステ
 荒城の月
 (ソルファ)
2025(35)水のいのち
 3.川
 (ソルファ、歌詞)
 4.海
 (ソルファ)
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音楽の美しさは音階の美しさと言っても過言ではありません。
結局は如何に音階を美しく歌えるか、に係っていると思います。
その第一歩は、まず全音と言う幅を美しく捉えられるかだと、私は思っています。
歌の始まり、或いは歌の赤ちゃんは、全音の二つの音です。
一つの音では、歌になりません。
私がユニゾンの練習の後、全音の練習に拘るのは、こういう理由です。
そして、そこから歌の子供が徐々に伸びていくように、音を一つづつ増やしていって、最終的にドからシまでの音の連なり=音階を如何に美しく歌えるようになるか。
そして、その様々な組み合わせであるパターン練習による音程練習で、あらゆる音程を美しく歌えるようになるか。
結局、メロディは音程の様々な組み合わせですから、この基礎練習無しに美しく歌えるようにはなりません。
厳しく言うと、1曲歌って、何となくハモってはいるけど、最終的に下がっている(上がっている)という事は、どこかでその音程が破綻しているという事、そしてそれを途中で修正できていないという事です。
合唱となると、それをみんなでやらないといけないので更に大変、みんながそういう意識と聴き分ける耳の能力をそれなりに持っていないといけないという事になります。
そういう意味でも、最初に一緒に音階練習やパターン練習をやって、それを共有することが大事だし、極端に言えば、それが全てだと言えます。
そして、ピアノなどの伴奏を常につけて練習していると、自分自身でそういう作業をやることや、その能力を伸ばすことを放棄していると言っても過言ではありません。
アカペラ=無伴奏で歌う事が重要であり、基本だと思います。


もう一つ。
練習中にどこかの合唱団の悪口を言いながら言いましたが、テンポに対する認識をもっと厳しくすることです。
これは実は、むしろ音程よりも難しいと言えます。
特に歌、合唱だけをやっていると、滅茶苦茶甘くなります。
そして実は、私を含め、合唱指揮者にその責任の大半があります。
この問題に関しては、丁度昨年、私も新たに認識をし直していたところに、実は偶然、年末の下野先生の指揮塾でも非常に厳しく指摘されました。
「しっかり数える」「徹底して数える」何度も言われました。
私自身、この課題は指揮者としての今年の一番の課題です。


音程とテンポ、実に当たり前のことですが、この基礎を今年は特にしっかり意識しながらやっていきたいと思います。
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【1月25日】[24]
1900(20)基礎
1920(20)讃美歌
 90.ここも神の御国なれば
1940(20)1ステ
 Ave Verum Corpus
 荒城の月
 (ソルファ、歌詞)
2000(10)連絡、休憩
2010(50)水のいのち
 4.海
 5.海よ
 1.雨
 (ソルファ、歌詞)

2024年1月11日の練習

1900(20)基礎
1920(20)讃美歌ARA読み
 88.過ぎにし昔も
1940(15)1ステ
 荒城の月
1955(10)連絡・休憩
2005(55)水のいのち
 1.雨
 2.みずたまり
 3.川
 (ソルファ、歌詞)
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明けましておめでとうございます


2024年の初回練習でした。
昨年12月21日の練習が、雪の影響で中止になったのをすっかり忘れていて、「しまった!ブログを書き忘れている!」と思ったのですが、でも手元に記録も残してなく何も思い出せずにいたんですが、それもそのはず、練習をやっていないんですからね。
間抜けな話です。
まあ、昨年は最後の最後まで、ドタバタだったんで、しょうがないと言えばしょうがないか。
ということで、結果的におよそ1ヵ月近くぶりの練習でした。
それもあってか、基礎練習のユニゾンが合わなさ過ぎて、ちょっと笑ってしまいましたが、次第に良くなってきました。
讃美歌も、久しぶりにしては、初見読みもなかなか良かったし、ハモった方だと思います。
それにしても、荒城の月も水のいのちも、なんか、進化してましたね。
12月の練習よりずっとソルファも音も正確でした。
なんか、練習しない間に熟成した感じですね。
そういうこと、よくありますもんね。
最後はベースの作曲で締めましたが(笑)


練習の時、ちょっと話しましたが、ここ10年余り、年の瀬に指揮者の下野竜也さんの指揮講習会にほぼ毎年通わせて頂いています。
毎年、ケチョンケチョンに言われるわけです。
自分のできなさ加減に心が折れます。
技術も、考え方も、自分の「癖」と言うものが、如何に頑固で、自分自身では分かりにくく、直しにくいものかと言うことを、思い知ります。
しかし、何より、62歳のこの歳になって、色々本音で本気で怒って言ってくれる人がいるというのは、本当に有難い事です。
そして、まだまだ改善したり考え直したりしなければいけないことが山の様にあって、しかしそうやってまだまだ自分が変われる可能性があるという事に気づかされるのは、痛みも伴うけれど、本当に嬉しい事ですし、希望が持てますね。
同時に、絶対に自分には出来ない事も、思い知ります。
これには絶望しますが、自分の器の大きさを知るのは、これもまた大事な事ですね。
とにかく、出来る事は、まだまだやらなければ、変わらなければ、という気になります。


自己変革。
今年は、特にそういう事への努力をちょっとかなり力を入れてやってみたいなと思っている次第です。
お酒も・・・減らします・・・頑張って。


次回の練習では「Ave Verum Corpus」をやるつもりです。
楽譜の準備をお願いします。
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【1月18日】25
1900(20)基礎
1920(20)讃美歌ARA読み
 89.み神のみ旨は
1940(20)1ステ
 Ave Verum Corpus
 荒城の月
 (ソルファ、歌詞)
2000(10)連絡、休憩
2010(50)水のいのち
 3.川
 4.海
 5.海よ
 (ソルファ、歌詞)

12月14日の練習

1900(21)基礎
1921(20)讃美歌ARA読み
 87B.恵みの光は
1941(18)1ステ
 荒城の月
1959(09)連絡・休憩
2008(06)1ステ
 荒城の月
2014(46)水のいのち
 2.水たまり
 3.川
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今回は珍しく参加人数がちょっと少なかった。
勿論、いつもの顔が見えないのは寂しいけれど、こういう時はこういう時で、私は結構好きなんですよね。
というか小アンサンブルになればなるほど、それはそれで面白いからね。
参加された各人一人ひとりの、何ていうか、音楽的責任感もいつもに増して感じますしね。
その上で、こっちも結構容赦なくツッコミを入れたくなる。


今回、最後に言い逃げの様に言ったのは、水のいのちの様に、良く聴く曲、或いは実際に何度も歌ったことのある曲、つまり自分の体にある程度入っている曲、第九もそうだけど、そういう既に頭に入っている曲は、ソルファで歌う時に、まず頭の中にメモリーの音があって、それに後付けでソルファを付けて声に出して歌うという事がしばしばあります。
これ、決して悪い事ではないです。
逆にそうやっても読譜の能力は上がります。
但し、注意しないといけないのは、その時ソルファの読みを間違えない事。
特に同じところを繰り返し間違えるのを放置すると、それが固定されてしまって、むしろ悪影響です。
ソルファを間違えそうなところは、音程の難易度が高い箇所だったり、そもそも音の記憶が曖昧だったり、そもそも間違えて記憶していたりすることが多いです。
なので、そういうところはむしろ慎重にソルファを間違えない様に歌う。
場合によっては、ソルファをしっかり楽譜に書き込んで、音がふらついたとしてもソルファは間違わずに喋れるようにする。
そしてそういうところは、ゆっくり歌うようにする。
歌詞を付ける前に、そうしてソルファで正確に歌えるようにしておくことが、大事ですね。
後で、勘違いやケアレスミスで間違ったとしても、直ぐに修正が効きます。
しかしメモリーだけだと、正確な修正は効きません。


さて、次の練習がもう今年最後の練習ですね。
せっかくなので、讃美歌は、クリスマスのグレゴリオ聖歌を歌いたいと思います。
前にもやったことがあると思います。
ちょっとリズムが難しいし、ラテン語ですが、とてもいい曲なので。
「水のいのち」は急がず慌てず確実にソルファで歌えるようにしていきましょう。
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【12月21日】(27)
1900(20)基礎
1920(20)讃美歌ARA読み
 Hodie Christus natus est
1940(15)1ステ
 荒城の月
1955(10)連絡・休憩
2005(55)水のいのち
 3.川
 4.海
 5.海よ

11月30日の練習

1900(20)基礎
1920(16)讃美歌ARA読み
 87A.恵みの光は
1936(17)1ステ
 荒城の月
1953(05)水のいのち
 1.雨
1958(14)連絡・休憩
2012(48)水のいのち
 1.雨
 2.水たまり
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いつの間にか、今年も残すところ1か月。練習も3回。
なんか、個人的には、バタバタ過ごした1年と言う感じでしたが。
いや、まだ年末までジタバタしなけれならないんですが。


世間は社会的にコロナ後遺症みたいなものが未だに色濃く残っていて、そして、もしかしたらこの後遺症がそのままアフターコロナとかのスタンダードとかになるんじゃないかと危惧もしていたり。
コロナ前が全て良かった訳ではないし、コロナ騒動がすべて悪かった訳ではない。むしろこのコロナ紀の間で気づかされた事も沢山あって、考え方も随分変わったし、一旦殆ど全てを白紙に戻す事で新たに出来る事もあって、世の中がコロナになってなかったら今こんな風には出来なかっただろうな、考えられなかっただろうなと思う事も沢山あって、そういう意味では個人的には、変だけど、相当恩恵を受けたことも確かです。
一方で当然、コロナの前と後で、全く考えが変わらずに居る人達も沢山居る訳で、やっぱり同じ事をやるんだーと、今まで以上に冷めた目で見ているヤな自分も居たりする。
自分としては、このコロナ騒動をちゃんと検証するにはもう少し時間が掛かるけど、兎に角ただ単に「やっと通り過ぎた、イエー!」みたいな、所謂「喉元過ぎれば」とか、単純に「復活だ!」みたいな事には絶対にしたくないですね。
でも、人間って、やっぱり同じ過ちを繰り返すんだよなぁ。
それでも、そうやってジクジク進化していくものだと信じたいですけどね。


いずれにしても改めて強く思うのは、政府の役人やマスコミの喧伝や社会や世間の「空気」に唯々諾々と従うのではなく、自分で調べて、考えて、自分の行動は自分で選択するという事が、今こそ物凄く必要だと思うんですけどね。
私はそもそも性格が相当の天邪鬼な上に、大学で、それこそ「研究とは今の科学的常識や理論を疑うところから出発する」という訓練を否応なしに積んできたので、余計にそう思うのかもしれないんですけど。


話が変な方に行きました・・・変なついでに・・・


移動ド読みと言うのは、何度も言うけど、結局自分で音を取るしかないというのが原則です。最後に音を自分のものにするのは、自分しかいない。そこにはある意味、誰の助けもありません。自分が正しいと思う音しか歌う事は出来ない。
そして、それを修正するのも自分しか出来ない。自分で間違いに気づく、或いはもっと良い音があるはずと思わない限り、変われない。
そこが、他から音を与えられてそれを憶えて歌う事と、結果は同じように思えるかもしれないけれど、脳の中で起こっている事は、全く違う事だと思います。
それは言うなれば、インコが喋る事と人間が喋る事が、全く次元が違うのと殆ど一緒だと思います。
インテリジェンスがあるかどうかという決定的な違いです。
音楽の中で夫々の音の持つ意味は、移動ドのソルファ、ドレミで読む(或いはそう感じられるか)以外に絶対に分からないと私は確信しています。
そして極端に言えば、憶えて歌う音楽は単なる「再現」だけど、楽譜を読んで歌う音楽は、その瞬間ごとの「創造」です。
「再現」は修正が出来ないけれど、「創造」は修正の連続です。


何事も、本当に大事な事や情報や創造は、結局自分の中でしか生まれてこない。自分の中に作ったり見つけるしかないと思います。
移動ド唱法は、その為の、とても良い訓練というか、その行為そのものにもなっていると思います。勿論、それが目的じゃないけれど。
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【12月14日】(28)
1900(20)基礎
1920(20)讃美歌ARA読み
 87B.恵みの光は
1940(15)1ステ
 荒城の月
1955(15)連絡・休憩
2010(50)水のいのち
 2.水たまり
 3.川
 4.海

11月16日の練習

1900(25)基礎
1925(30)讃美歌ARA読み
 86.み神の恵みは
1955(10)連絡・休憩
2005(16)1ステ
 荒城の月
2021(39)水のいのち
 4.海
 5.海よ
 1.雨
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今回の練習には、なんと19歳と言うお若い見学者の方が来てくれました。
嬉しい限りです。


ただ、今回、練習をやっていて、改めてつくづく思ったことがあります。
それは、このちく混の練習は、ただ単に歌って楽しいとか、それをみんなと合わせて楽しいとかではなく、その前に、楽譜を自分の力で読んで、そしてそこから正しい音を取らなければいけないという高いハードルがあって、そしてそれこそを楽しめるかどうかが、このちく混に楽しく参加し続けていけるかどうかの境目だろうという事です。
考えてみると、巷の多くの一般の合唱団と、そこが一番大きな違いかもしれません。


しかし、よく考えてみれば、その高いハードルは、普通の楽器の習得では当たり前のことですよね。
ピアノでも、リコーダーでも、ギターでも、ヴァイオリンでもなんでも楽器は、兎に角ある程度弾けるようにならないとちゃんとした演奏は出来ませんし、ましてやまともなアンサンブルは普通は出来ません。
ピアノでも弦楽器でも管楽器でもまずは運指を覚えないといけないし、弦楽器なら右手の動きも正確でないといけません。
でたらめに弾いても思った音は出ないし、ましてや人と合わせる事は不可能です。
勿論、それを耳だけでやることも出来ます。
でも、そうして楽譜無しで耳だけで習得し演奏するのには、相当の才能があるか、練習時間があるかで、普通は楽譜がある程度読めなければ上達は難しいし、少なくともクラシックの世界でそうした楽器の習得をするのは、ほぼ最初から楽譜があることが前提ですよね。
ポップスの世界でも、例えばフォークギターでも最初はコードさえ分かれば楽譜無しでも弾けますが、ソロをやったり、他の楽器と合わせるようになってきたり、音楽自体が複雑になってくると、どこかで楽譜が必要か、あった方が便利だったりします。
また、音楽を正確に再現する為にも、そのメモとしての楽譜を正確に読めるかどうかは大きなスキルです。
つまり、楽器は、例外もありますが、楽譜を見て演奏できることが普通だと言えます。
そして、そのある意味での技術の習得の為には、当然ある程度の時間と忍耐が必要です。
どの位の頻度で練習するかによりますが、それでもちゃんと弾けるようになるには、数年かかって当たり前だし、ある意味、一生かかると言っても過言ではないです。
そして、言っては悪いですが、多くの一般の合唱団には、その感覚が欠落していることが多いんじゃないかと思います。
なぜそうなるかと言うと、歌は、言うなれば、楽譜が無くても誰でもそれなりに歌えるからそうなるわけで、しかもそのレベルの評価が、往々にして「声の良さ」とか「歌のうまさ」或いは「声の大きさや音域の広さ」に拠っていて、そこに「楽譜通りに正確に歌えるか、演奏できるか」という、楽器なら一番最初に来るべき課題がないがしろにされているからだと思います。


だから、逆に言うと、ちく混でやっている練習は、別に特別な事をやっているわけではなくて、楽器を習う時と同じようなことをやっているに過ぎないと言えます。
そして、それを楽器が次第に弾けるようなる時、次第に上手くなっていく時の喜びと同様に、楽しいと思えるかどうかという事だろうと思います。


勿論、合唱の楽しみ方は色々あって良いと思いますが、少なくとも、もし「音楽をやる上で本格的に、というか当たり前に」となれば、今ちく混がやっている過程(であり全て)を通らないわけにはいかないと思うわけです。


練習でどんなに酷い音がしていても、その時、夫々の皆さんが必死に自分の力で楽譜から音を拾って歌っていると思うと、本当に尊いと思います。
そして勿論、ギャーギャー言いますが、そういう練習が一番楽しいとも思います。
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【11月30日】29
1900(20)基礎
1920(20)讃美歌ARA読み
 87A.恵みの光は
1940(15)1ステ
 荒城の月
1955(15)連絡・休憩
2010(50)水のいのち
 1.雨
 2.水たまり
 3.川
 4.海
 5.海よ