ちくしの混声合唱団

福岡県筑紫野市で活動している「ちくしの混声合唱団」です。
毎月3回、木曜日か金曜日、19時から21時、筑紫野市文化会館を拠点に練習しています。
現在メンバーは40名程。主婦、サラリーマン、学校の先生、OL、学生さん等々。
老若男女何方でも、いつでも練習参加、見学、入団できます。

合唱経験の有無は全く関係ありません。
初心者の方、大歓迎です。
楽譜が読めない方も、とりあえず読んで歌えるようになります。
是非お気軽にお出で下さい。

お問い合わせは、このブログにコメントをお願いします。

1月27日の練習

1900(26)基礎
1926(36)発表会レパ
 01.わが魂は待つ
 02.眠りの精
 05.ローレライ
 07.久しき昔
 (ソルファと歌詞で)
2002(14)連絡・休憩
2016(44)発表会レパ
 13.サンタルチア
 16.ばらの花咲き
 28.夜
 34.神の栄光
 七つの子
 かわいいあの娘
 第九
 (ソルファと歌詞で)
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練習の後半で「四苦八苦してますね、でも四苦八苦しましょう」と言った。
本当に、四苦八苦しているように見えた。
身内を褒めるのはあまり良くないと思うけど、でも、本当にそれが大事だと改めて思ったし、その姿は、上から目線で申し訳ないですが、それだけでちょっと僕には感動的だった。
これで良いのだ、と。このプロセスが必要なのだ、と。


プロ(級)の人達は、それこそ小さい頃から嫌という程、四苦八苦してきたはず。
歌は、別に自分で楽譜を読なまくても、何らかの方法で音を覚えれば誰でも取敢えず歌える。
でも楽器はそうはいかない(声楽の人だってそうだけど)。まず楽譜通りに間違えずに音を出さないと話しにならない。運指を間違えてはいけない。
しかも、例えば弦楽器の人は、音程が定まらない、弓が上手に使えないとか、管楽器は、音が外れる、高い音や低い音が割れる、ピアノは手が回らないとか、正確に音を出すだけで、色んな難しい問題に直面する。そして、みんなそういう辛酸を散々舐めて来て、それを克服してきている。
合唱は、皆で歌うが故に適当でも参加できるし、上手な人がそこに居れば、何となく自分もちゃんと歌えている気になる。それはある面でとても良い事。
合唱の楽しみ方自体も色々あって良い。
みんなで気楽に楽しく歌うだけでも、十分。
だけど、本当に本格的に楽しもうと思ったら、出来るレベルの違いはともかく、やり方や、プロセスはプロのそれに出来るだけ近づけるべきだ。
そうして同時にプロの人達のそういう厳しさを身をもって体験することだ。
そうでないと本当の音楽の面白さには近づけない。奥深さを感じることは出来ない。
これは別に音楽に限らずどの世界だって言える事だと思う。


プロと同じレベルの事をやる必要はない、自分達にあったレベルで、本当にやるべきプロセスを踏む。
しかし、そのプロセスだって、そんなに大変な事を言っているわけではない。
大雑把に行ってしまえば、
「まずは自分の力で譜面を読もう。他の音を良く聴きながら良い音程と良いバランスで歌おう。」
という事に尽きる。
それをやっていれば、自ずともっと先が見えてくる。
勿論、それなりに時間は掛かるし、辛抱も必要。

しかしそれをやっていれば、プロからもリスペクトされる。
別にプロから認めてもらうのが目的ではない(プロにも色々居るし)けど、しかし本当に厳しくそしてより素晴らしい芸術を求めて自らの身を切り人生を捧げて挑もうとしている人達と同じプロセスを辿ることは、例えば我々はエベレストには自力で到底登れないけど、宝満山ならそれなりのきちんとした装備とか準備と努力で自分の足で登れるし、その自力で登頂した達成感と共に、そこから見える眼下の光景への感動は本質的にはエベレストと一緒のはずで、そういう意味でプロのアルピニストと同じ思いを共有出来ていると言えると思う。
逆に、自分の力で譜面を読み、自分の中から四苦八苦して正しい音をウンウンひねり出しながら音楽をやる(つまり自分の足で歩く)ことなしに音楽をやろうとするのは、例えそれで第九の様なエベレスト級の山に登ったと言っても、それはヘリコプターや飛行機で連れて行ってもらったに過ぎないのと同じだと思う(それだって価値が全くないとは言わないけど)。でもそれは当然、「そんなの山に登ったとは言えないよ」と言われるに決まっている。
自分の足で山に登ろう。


それから、芸術とは、それが例えば何度も演奏されいる曲の演奏であっても「再現」ではなく、その都度自ら「創造」するもの。
楽譜はその設計図であって音楽そのものではない。そこからそれを「読み取って」新しく創りあげるのは我々自身。
四苦八苦するのは、まさに生みの苦しみ。それなくして芸術なし。

仮に今度の発表会で音を間違ったりしても、悔やまない(悔やむけど^^;)。
それよりも今の私たちには、こういうプロセスの方がずっと大事。


なんか前にも同じような事を書いたような…
まあ、いいや。大事な事は何回も言いますってことで。


皆さん、せいぜい、四苦八苦しましょう。



【2/2】
1900(25)基礎
1925(35)発表会レパ
 01.わが魂は待つ
 02.眠りの精
 05.ローレライ
 07.久しき昔
 (ソルファと歌詞で)
2000(10)休憩
2010(50)発表会レパ
 七つの子
 かわいいあの娘
 第九
 13.サンタルチア
 16.ばらの花咲き
 28.夜
 34.神の栄光
 (ソルファと歌詞で)

1月19日の練習

1910(14)基礎
 ユニゾン~スケール
1924(30)発表会レパ
 01.わが魂は待つ
 02.眠りの精
 05.ローレライ
 07.久しき昔
 (ソルファと歌詞で)
2008(12)休憩
2020(40)発表会レパ
 13.サンタルチア
 16.ばらの花咲き
 28.夜
 (ソルファと歌詞で)
 34.神の栄光
 七つの子
 かわいいあの娘
 第九
 (歌詞で)
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今回、練習の始めに、大変おこがましいとは思いましたが、音楽団体としてのマナーみたいなものを喋らせて戴きました。
しかし、意外とこういう事がちゃんと出来ている合唱団体は、私の知る限り意外と少ない。
失礼ながら、特によく見かけるのは、女性の方のお喋りです。しかし女性に限らず、例えばコンクールで金賞を取るような団体のメンバーでも、指揮者が指示を出していても、勝手に喋ったり、自分で平気で歌って音を取ったりしていることは、よく見かけます。
音楽団体である以前に、一つのコミュニティとしてのマナーというものを考えなければいけない。
人が喋っている時やあるパートが練習している時は黙って聞くとか、時間を守るとか。
オーケストラは、色んな楽器、つまりより色んな種類の人間の集まった集団なので、逆にそういうところが本当にしっかりしていないと上手くいかないという事を、その雑多なメンバー自身がよくわかっているので、そうした暗黙の規律が成り立っています。
合唱の世界はそれに比べると、現状はずっと甘い。だから楽器の人からなめられる。逆にプロアマ上手下手に関係なく、そういうマナーがきちんとしているとちゃんと尊敬してくれる。
ま、人間として当たり前の集団行動をやってるかどうかってことですよね、結局。
でも、それが出来てくると、私の経験ではその団体の音楽も確実に良くなると思います。逆にそこがしっかりしていないと例え長くやっていたとしても目だった発展はないです。
特に発表会や演奏会のような、集団的なイヴェントをやるに当たっては、そういうマナーみたいなものが、実に重要になってきます。
そういうことを腹に据えて、無駄なく、過不足なく、ある意味「美しく」仕事や行動が出来た上で、本番を迎えられるようになりたいものです。
派手なステージ、華美なステージ、大掛かりなステージを作ることよりも、そういう地味で地道な美しさこそ、まずは大事にすべきだと思います。



【1/27】
1900(25)基礎
1925(35)発表会レパ
 01.わが魂は待つ
 02.眠りの精
 05.ローレライ
 07.久しき昔
 (ソルファと歌詞で)
2000(10)休憩
2010(50)発表会レパ
 13.サンタルチア
 16.ばらの花咲き
 28.夜
 34.神の栄光
 七つの子
 かわいいあの娘
 第九
 (ソルファと歌詞で)

1月13日(金)の練習

1900(30)基礎
 ユニゾン~スケール~パターン
1930(30)発表会レパ
 01.わが魂は待つ
 02.眠りの精
 05.ローレライ
2000(10)休憩
2010(50)発表会レパ
 07.久しき昔
 13.サンタルチア
 16.ばらの花咲き
 28.夜
 34.神の栄光
 七つの子
 かわいいあの娘
 第九
 (全曲solfaで)
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前回の練習が12月16日だったので、ほぼ1ヵ月ぶりの練習。
いよいよ3月12日の発表会の為のレパートリーの練習に取り掛かりやした。
本当は今回まで通常の練習を考えていたんだけど、1回だけだけどちょっと早めのスタートを切ろうと。
何故ならこの日に、発表会の説明もありーの、新年会もありーので、ま、気持ちを切り替えるには丁度良いかなと。
でもやる内容はほぼ今までと一緒。
基本的にこのスタンスを変えません。
まずはsolfaできちんと歌えること。
ここを外すと、それこそ巷の一般の合唱団と全く同じになっちまう。
演奏の結果がどうであれ、大事なのは練習のプロセス。
どういう練習を経て本番に臨むか、そこが物凄く大事だと思うし、これがこの団のアイデンティティに関わると思います。
ま、それは私の我儘かもしれないですが。
それも、いずれ話すと思うけど、私が同じような手法でやっている団体、この手法の元祖である九大コールアカデミー、アングラ実験工房的存在のChor Solfa!、ちょっと好い加減だけどなんとか実践しているエスポワールと、ちく混ではまたちょっと、かなり、私の中では違うわけですよ。
なにがってのは、またそのうち。
とにかく今はこのプロセスを徹底したい。
時間は掛かるけど、その向こうに見えてくるものが必ず違ってくると私は思います。
それは、いずれ音楽以外の事にも、恐らく影響してくると思います。
アマチュアの音楽団体にとって、本当に大事なものは何か。
いや、アマチュアであっても、実はプロと同様に大事なものがある。
巷の団体を悪く言うつもりは毛頭ないけど、恐らく違った合唱団の在り方があるはず。
それを実現する為の最初のステップとしての発表会をやりたいです。
単なる上手い下手でもなく、見てくれの良し悪しでもない、なんか本質的なものが感じられる合唱団。
そもそもこの合唱団が、筑紫野文化会館という公の場の中から、しかも九響というプロオケ、大友直人という一流の指揮者やプロのソリストとの共演から産まれたことも、あながち無視できないことだと思います。勿論、そこを変に強調したり、ウリにするつもりもないけど。


さて、次回の練習から、solfaと歌詞で歌っていきます。
solfaと歌詞を行ったり来たりすることで、solfaで歌っている時に歌詞もなんとなく目に入り、歌詞で歌っている時もsolfaがなんとなく頭に浮かぶようにって感じです。
時間のかかる面倒くさい作業だけど、とても大事な作業。
頑張って参りませう。


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【1/19】
1900(30)基礎
 ユニゾン~スケール~パターン練習
1930(30)発表会レパ
 01.わが魂は待つ
 02.眠りの精
 05.ローレライ
2000(10)休憩
2010(50)発表会レパ
 07.久しき昔
 13.サンタルチア
 16.ばらの花咲き
 28.夜
 34.神の栄光
 七つの子
 かわいいあの娘
 第九
 (行ける所まで丁寧に)

12月16日の練習

1900(30)基礎
 ユニゾン~スケール~パターン練習
1930(09)カノン
 53.蛙の合唱
 54.お池の蛙
1939(24)愛唱曲
 26.夕べの歌
 27.若者の歌
 28.夜
 29.踊りの歌
 30.菩提樹
 31.夏のあけぼの
2003(17)連絡・休憩
2020(12)愛唱曲
 32.友よ手をのべて
 33.霜のあした
 34.神の栄光
2032(17)第九
 [411]
 M
2049(11)クリスマス
 10.クリスマスの歌
 06.聖夜
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今年最後の練習。
ご夫婦でご見学の方がお見えで、基礎練習は少しデモ付きで。


カノンは、今回簡単で、しかもソルファだけではあったが、それにしても早く終わって、音も良くなってきた。


愛唱曲は、今年中に全曲を終わらせるべく容赦なく進めた。
いずれの曲も1回か2回だが、それにしてはそこそこの音がしてきている。
思わずドイツ語で歌ってみたいと思った曲もあった。
歌えなくても先へ進むという大胆さも出て来た。


第九は、男声合唱のところをMのテーマのところ。
Mの部分は、歌詞を付けて歌ってみた。
また、Mの部分は、全音下げてC-Durで。本来から言うと激怒モノかもしれないが、高音に苦しむことなく歌え、こういう楽しみ方もあると思う。


最後は、季節柄、せっかくなので愛唱曲集からクリスマスキャロルを2曲。
シンプルな讃美歌だが、こういうものをちゃんとした4声のコーラスで歌えるのは、やっぱり特別な幸せを感じる。


今年も皆さん、お世話になりました。
来年はいよいよ3月に発表会、そして7月に初めての演奏会。
ま、発表会や演奏会も大事だけど、毎回の練習で自分達の音楽を楽しみませう。
来年もどうぞよろしくお願い致します。



次の練習の予定。
【1/13(金)】
1900(30)基礎
 ユニゾン~スケール~パターン練習~ハーモニー
1930(15)カノン
 55.かにさん
 56.せみの声
1945(15)発表会レパ
 01.わが魂は待つ
 02.眠りの精
 05.ローレライ
2000(10)休憩
2010(50)発表会レパ
 07.久しき昔
 13.サンタルチア
 16.ばらの花咲き
 28.夜
 34.神の栄光
 七つの子
 かわいいあの娘
 第九

12月8日の練習

1900(30)基礎
 ユニゾン~スケール~パターン練習[3~5度アドリブ]~ハーモニー練習[3~5度]
1930(15)カノン
 50.小川
 51.水車
 52.花火
1943(22)ソルファ譜読み
 21.めざめよ牧人
 22.はるかなる山のあたな
 23.春の歌
2005(10)休憩
2015(35)ソルファ譜読み
 24.羊飼いよ急ぎ行きて
 25.庭の千草
2045(20)第九
 [411]をソルファでARA読み
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【備考】
「カノン」「愛唱曲」「第九」とも全てソルファのみ。今回も歌詞無し。
愛唱曲は、少し丁寧に、歌えていない所を多少拾いつつ。
第九は[411]からの男声3部合唱を女声も3部に分かれて一緒に譜読み。
まずは、ARA読みで夫々のパートを移調して全員で。
最後に合わせた。
ARA読みでは、中々最後まで行きつかず、引っ掛かったら最初から歌い直すという事を何度も繰り返した。
これもまた楽しい。
覚えているはずのパートも、こうして音符でちゃんと歌おうとすると歌えない。
その、歌えない所が、実は一つの大きな進歩。
つまり記憶で歌おうとしているのではなく、最初から楽譜を読んで音をイメージして歌おうという姿勢の現れ。
この作業こそ、知的創造の過程であり、これこそが新しいものを生み出そうとする芸術活動そのもの。
つまり、単に覚えて歌うということは、その作品の単なる「再生」で、これは、敢えて言えば子供でもできる。
そうではなく、楽譜を読み解いて自分の中から音を創り出すという新しい創造作業を経た上での演奏は、ある程度の知性が無ければできない。
それは全体から見たらごく小さな、そして初歩的な、個人レベルにおける創造作業だが、この作業があるかないかは大変な違いで、初歩的な作業とは言え、結局はこの作業の積み重ねが、偉大な古典作品を、現代の我々の手による新しい作品として生み出すことになる。
覚えて歌うという事と、楽譜を読んで歌うという事は、それ位の差があると思う。
クラシックの楽器の演奏者は楽譜を見て演奏するのが当たり前。楽譜が読めずに、聞き覚えだけで交響曲の演奏を出来る人はまず居ない。それと同じように、合唱も楽譜を読んで、音を出すことが当たり前になるべき。
その姿勢があれば、プロとアマと言ったレベルの差は関係ない。
何度も失敗しながらも、そして結局はソルファで覚えてしまって歌えるようになったとしても、その過程の練習があるかないかが、大変大きいと思う。


今回の様な練習も、上手い下手いとか、そういう些末な問題ではなく、実に創造的な練習、というか演奏で、楽しかった。



次回の練習
【12/16】
1900(30)基礎
 ユニゾン~スケール~パターン練習~ハーモニー
1930(15)カノン
 53.蛙の合唱
 54.お池の蛙
1945(15)愛唱曲
 26.夕べの歌
 27.若者の歌
2000(10)休憩
2010(15)
 28.夜
 29.踊りの歌
2025(20)第九
 [411]
2045(15)クリスマス
 10.クリスマスの歌
 06.聖夜