ちくしの混声合唱団

福岡県筑紫野市で活動している「ちくしの混声合唱団」です。
毎月3回、木曜日か金曜日、19時から21時、筑紫野市文化会館を拠点に練習しています。
現在メンバーは40名程。主婦、サラリーマン、学校の先生、OL、学生さん等々。
老若男女何方でも、いつでも練習参加、見学、入団できます。

合唱経験の有無は全く関係ありません。
初心者の方、大歓迎です。
楽譜が読めない方も、とりあえず読んで歌えるようになります。
是非お気軽にお出で下さい。

お問い合わせは、このブログにコメントをお願いします。

3月3日の練習(二日市東コミュニティーセンター)

1900(40)1ステ「ちく混の成り立ち~公開練習~」
 基礎練習デモンストレーション
 久しき昔(7/イギリス)(ソルファと歌詞で)
 サンタルチア(13/イタリア)(同上)
 第九ダイジェスト「M~」(同上)
 わが魂は待つ(1)
 ローレライ(5)
2002(14)連絡・休憩
2016(44)3ステ「ドイツの歌」&アンコール
 ばらの花咲き(16)
 眠りの精(2)
 夜(28)
 神の栄光(34)
 七つの子
 かわいいあの娘
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昨日、ちく混からも10名程参加して貰っている4月14日熊本であるマーラーの「復活」の
本番指揮者、山下一史さんの練習があった。
マエストロの練習は、ただ対処療法的に音を整えていく様な練習ではなく、もっと本質的に学ぶところが多い、とても良い練習だったのだけど、その中で、我が意を得たりというか、私もちく混にも結構口うるさく言っていることがあったので、敢えて書こうと思う。
それは、「数える」ということ。
伸ばしている音を、ムードで伸ばすのではなく、どこまで伸ばして、どこで切るか、或いはどこで次の音へ移るのかを、まずはちゃんと拍を数え、そしてさらにそれを「音楽的に数える」ことの大切さ。
オーケストラと共演する、つまり楽器と合わせる時には、特によく「数え」ていないと合わないとも仰った。然り。何故なら、楽器の人は、ちゃんと数えるからで、それがごく当たり前だからだ。
しかし結局、昨日、熊本、福岡から色々な結構なベテランも含め合唱人が集まった合唱団だったにもかかわらず、そのことをマエストロから何度となく指摘されたという事は、誤解を恐れずぶっちゃけて言えば、アマチュア合唱人の多くが、ちゃんと楽譜を見て、ちゃんと数えていないという事だ。
ムードで歌っているか、楽譜は見ているけど、ちゃんと見ていない、読んでいない、数えていないという事だ。(練習指揮者としての私の責任でもある)
リズムでも音程でも、数えることは基本。
練習の後、マエストロを囲んだ酒宴に参加させて戴いたのだが(貴重な時間だった!)、その時、音楽は情感より知性、頭だと言う様な事を言われた。その通りだと思う。
「楽譜を読む」という事は「本を読む」という事と、本質的には変わらない。
文字をちゃんと読まないと本の中身が理解できない様に、楽譜も音符をちゃんと読まないとちゃんと歌えない、音楽が分からない。
またさらに言えば、書物でいう所の「行間を読む」のも、楽譜も同じこと。
その文字、或いは音符の向こうに書かれているメッセージは何かを読まなければいけない。
ただ覚えただけの音を歌うのなら子供にだって出来る。いや、むしろ子供の方が上手かもしれない。
しかし「楽譜を読んで」音楽を創ることは、より知性の高い大人にしかできない。
それこそ混声四部合唱などは、それがたとえどんなに簡単なものであっても、本当は既にかなり高いレベルの音楽と言える。伝統的西洋音楽の基礎がそこに既にギッシリ詰まっているからだ。
例えそれを自分のパートだけでも、それをただ覚えて歌うというのは、その音楽を理解したとはとても言えないと思う。それは文字の意味が分からず発音する外国語と一緒だ。
楽譜に書かれている音の高低と長さを理解しながら歌わないと、本で言えば単語一つ一つの意味や、その繋がりであるセンテンスが分らないのと一緒。それが分からなければ、全体の物語や思想が分かろうはずがない。
そして、その最初の基本が、高等数学の、その前の算数の、その第一歩と一緒で、それは紛れもなく「ちゃんと数えること」だと思う。
決して難しい事ではないけれど、そこに意識があるか否か、そしてそれが習慣化されているか否かには、雲泥の差があると思う。


さあ、次は発表会最後の練習、ゲネ・プロ(GP)です。
張り切って参りましょう。


次回の練習
【3/9(筑紫野文化会館)】
1900(40)1ステ「ちく混の成り立ち~公開練習~」GP
 基礎練習デモンストレーション(20分)
 カノン1曲
 久しき昔(7/イギリス)(ソルファと歌詞で)
 サンタルチア(13/イタリア)(同上)
 第九ダイジェスト「M~」(同上)
1940(15)連絡・休憩
1955(65)3ステ「ドイツの歌」&アンコールGP
 わが魂は待つ(1)
 ローレライ(5)
 ばらの花咲き(16)
 眠りの精(2)
 夜(28)
 神の栄光(34)
 七つの子
 かわいいあの娘

2月23日の練習

1900(55)1ステ「ちく混の成り立ち~公開練習~」
 基礎練習デモンストレーション
 久しき昔(7/イギリス)(ソルファと歌詞で)
 サンタルチア(13/イタリア)(同上)
1955(10)連絡・休憩
2005(55)3ステ「ドイツの歌」&アンコール
 わが魂は待つ(1)
 ローレライ(5)
 ばらの花咲き(16)
 眠りの精(2)
 夜(28)
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私がちく混でやっている練習は、以前にも書いたと思うけど、大本はコールアカデミーで、基礎のメソッドやレパートリーはSolfa!と同じようなものだけど、それでもちく混はちく混でまた違ったもので、私にとってはここはここでまた全く新たな合唱の実験工房のようなもんです。
特にSolfa!と決定的に違うのは、Solfa!はあくまで子供も含めた最初級者を常に対象にしていて、日曜の午前中に一緒に歌うことが最大の目的。誤解を恐れず言うならば、団体そのものとしては、やたら難しいレパートリーや大曲に取り組むとかいうことは目的ではない。勿論、挑戦することがないとは言えないけど。また、音楽的内容に関しても、そんなに難しい事を要求するわけじゃない。初級のレベルでも音楽の本質的な美しさを楽しめればそれでいいし、それが大事だし、それがSolfa!のアイデンティティという感じ。
一方、ちく混は大人の集団。勿論合唱初級者が多く、今のところの単純な合唱の実力(例えば譜読みの早さとかハモりの良し悪しとか)で言うとSolfa!の方がまだ上かなと思うけど、今出来る出来ないはともかく、私の言ってることが少なくとも頭ではわかる、或いはこれまでの経験や知識上、感覚的に理解できるというレベルの方が多い。
だから、音楽的に高い事も要求したい。
それも技術というより感性の問題。
どう歌うか。
言い方が難しいけど、例えば「心を込めて歌う」とか「感情をこめて歌う」というのは違う。
感情より理性や知性を使う。
「どう表現するか」とか「他のパートとの関係を考えながらどう歌うと全体が良くなるか」とかいったことを考えならが理性的に演奏する。
つまり、役者が役を演じるように、例えどんなに感情的な表現であっても、必ず醒めた部分があって計算しながら表現をする。
そういうことは、大人でしかできない。
子供というか、若者の、感情に任せた表現、或いは何も考えていない無垢な感性からくる表現というのも勿論良いと思うけど、一方、大人として、理性によって抑制されながら、しかしそれでもって創られる豊かな感情表現というのは、それを聴いたり見たりする方にはより深い感動とか共感が得られると思う。
つまりは、一般のコミュニケーションと一緒で、感情に任せたコミュニケーションは、一方的な事が多く、お互いに気持ちや理解を共有することが難しく、むしろ理性、或いは知性をもって冷静に話す方が、話がちゃんと通じることが多い。
音楽というと、どうしても感覚とか感情の世界の話になってしまうけど、勿論、何を伝えたいかという感性とかセンス、世界観みたいなものがあるのが大前提だけど、それをどう伝えるかには、一つには技術、そして理性がないと上手に伝わらない。
逆に言うと、そういうところが、音楽の、特にアンサンブルの醍醐味。
一人の表現ではなく、グループとしてそれを創っていくところが、難しくもあり快感でもあると思うわけです。
おそらくそういうことを考えながらやっていくと、ちく混が何のレパートリーをやるかという、そういうことによるアイデンティティ(これは結構色々ありますよね)ではなく、何のレパートリーをやっても、ちく混独自のサウンドを持ったグループ(というか私はバンドと敢えて言いたいんだけど)になれるんじゃないかと思います。


さて、いよいよ残り2回の練習。
次回の練習は、今回やれなかった曲ももう少し詰めていきます。


【3/3(二日市コミュニティセンター)】
1900(40)1ステ「ちく混の成り立ち~公開練習~」
 基礎練習デモンストレーション(20分)
 カノン1曲
 久しき昔(7/イギリス)(ソルファと歌詞で)
 サンタルチア(13/イタリア)(同上)
 第九ダイジェスト「M~」(同上)
1940(15)連絡・休憩
1955(65)3ステ「ドイツの歌」&アンコール
 わが魂は待つ(1)
 ローレライ(5)
 ばらの花咲き(16)
 眠りの精(2)
 夜(28)
 神の栄光(34)
 七つの子
 かわいいあの娘

2月16日の練習

1900(40)1ステ「ちく混の成り立ち~公開練習~」
 1908(23)基礎練習デモンストレーション(20分)
 1931(19)久しき昔
     (全員ソルファ→各パートソルファ→全員ソルファ→歌詞1,2番)
 1950(10)サンタルチア
     (歌詞→ソルファ)
 2000(05)第九ダイジェスト「M~」
     (前半歌詞→ソルファ→歌詞)
2005(12)連絡・休憩
2017(26)3ステ「ドイツの歌」&アンコール
 わが魂は待つ(1)
 ローレライ(5)
 ばらの花咲き(16)
 眠りの精(2)
 夜(28)
 神の栄光(34)
 七つの子
 かわいいあの娘
  (通し練習)
2043(18)3ステ駄目出し
 かわいいあの娘
 神の栄光
 はらの花咲き
 わが魂は待つ
 ローレライ
 夜


ちょっと早いと思ったけど、私の練習も兼ねて、本番の流れで練習した。
やって良かった。
色んな課題が見えてきた。


1ステの公開練習は、正直まだ手探り。
今回やって分かった一番困難な点は、お客さんには実際に歌で参加してもらうのではない、あくまでも聴くという立場で居てもらう、という実に当たり前な点。
その立場で少しでも「面白い」或いは少なくとも「なるほど」と思わせるにはどうしたら良いかを考えないといけない。その上で、その中に参加してみたいと思わせないといけない。
大学の新入生勧誘のデモンストレーションでも、こんな徹底した公開練習(基礎練習そのもの)はやったことがない。
まだ正直やってみないと分らないなというのが、今の実感だけど、実験的にでもやってみる価値は感じた。
なんか、工夫が必要だな…


3ステは、通し練習。
皆さん、相当緊張してましたね。前回の練習のトラウマもあったかな。
ちょっと緊張しすぎの感はあったけど、決して悪い緊張ではなかった。
というか、本番はもっと緊張しますよね。
その緊張を楽しむ、或いはその中で力を発揮する、緊張そのものが普通になる、そういうことも大事だと思う。
楽しむというのは、決してリラックスするばかりではない。
スポーツや囲碁、将棋、トランプ、麻雀なんかのゲームを考えれば、想像できると思うけど、ゴルフでもテニスでも野球でもなんでも一定の緊張感とか集中力がないとそれが特に大きな試合でなくても楽しくないですよね。
それと、緊張するという事は、実は自分に責任を感じるという事の現れだと思います。
人任せではどうにもできない、自分でやるしかない、という時に緊張しますよね。
合唱は沢山の人でやるけど、結局一人一人の集合体だから、実は一人一人の力が試されていて、その結果が現れる。
だから、そういう意味でもいい緊張感だったと思う。
顔つきがちょっと怖かったもんね。でも、やっぱりどこかで締まらないとね。
単に楽に歌って楽しいという、そういう壁を越えつつあると思います。


実は根本的には同じような事だけど、練習の中で言いましたが…
今日の練習を聴いて、改めて今のちく混で一番良くないところは、音の切りが悪いという事。
自分がどう歌い出して、そしてどう収めるかをもっと鮮明にイメージしないといけない。
特に、どうしても「歌う」(楽器でも一緒だけど)時に、歌い出しは結構注意するのに、歌い終わりに関してはそれに比べると、信じられないぐらい雑になることが多い。
音楽は、全く音のない真っ白な空間から音が発することで産まれるわけだけど、同時に最後には必ず音がなくなって同じように真っ白な静寂に戻って初めて音楽として成り立つ。
どんなに長大なシンフォニーでも、最後の音がなくなって初めて完結し、全体としてどういう音楽だったのかが判明する。
流しっぱなしの音というのは、音楽にはならない。
始めたものは責任を持って終わらせないといけない。
開けた幕はちゃんと閉じないといけない。
産まれたものは、ちゃんとした死を持って終わらせないといけない。
そういう、自分が出した音に対する責任感というか、落とし前をちゃんと付けるという事が大事。
その為の重要な目印になるのが、楽譜、音符。
楽譜に書いてある音符、それがどこまで伸びているのか、どこで終わっているのかを良く見て、まずはその通りにやってみる。
その時に大事なのは、自分の意志でそれをやるという事。
良く言われるように「揃って出ましょう」或いは「揃って切りましょう」というのは、実は間違い。
それぞれのプレーヤが自分の意志でもって「ちゃんと出たら、揃った」「ちゃんと切ったら、揃った」というのがホント。それと「揃うように出た」「揃うように切った」とでは、音楽的にはプラスとマイナス位の雲泥の差がある。
これはずっと以前に九響のコンマスの扇谷さんからも同じ事を言われました。
「アマチュアはこれが出来ないから信用できない」って。
キッツいなぁ。でも、当たっていると思うし、でもアマチュアでもやろうと心掛ければ必ず出来ると思う。
でもそれぐらい自分が出す音に責任が持てるかどうかという事でしょうね、結局。
で、それが一番わかるのが、実は「切る」そして「出る」ということだと思います。
何度も言うけど、物事を終わらせることの大事さ。
大袈裟に聴こえるかもしれないけれど、それぐらい「音を切る」という事には、大事な要素が詰まっていると思います。
そして、その「切る」の裏返しが紛れもなく「出す」であって、これは実は全く同じ意味を持つ。「ちゃんと切る」と「ちゃんと出る」ということは、同じこと。
どうか、そこに意識をもっと傾けてください。
上手い下手ではなく、音楽そのものの質が全く変わると思います。


だけど、いずれにしてもこれはどっかで一回と言わず、皆さんが身に付くまで、練習しようと思います。
それぐらい大事な事なんで。


もう一つ大事な事は、これも当たり前の事だけど、2人以上のアンサンブル(合唱でも合奏でも)になったら、必ず相手がいるという事。
会話の時に一方的に喋っても会話にならないですよね、それと一緒で、指揮者も含めて、一人で勝手に喋らないで、皆でコミュニケーションを取りながら結果として一つの音楽を創っていかなければいけない。
主張と協調を上手にやらないといけない。
自分の音楽だけをやりたかったら、それはカラオケボックスに言って、物言わぬカラオケの伴奏に乗って自分の好き勝手に歌えば良んです。カラオケは例え伴奏と言っても決してアンサンブルではない。ま、文句を言わんから気楽ちゃ気楽だけど、正直面白くない。
同じことが、実は、それを聴いているお客さんに対しても、言えること。
こっちの方が遥かに難しいけど、とにかくお客さんとも何らかのコミュニケーションを取ろうと思いながら音楽をやらないと、一緒に音楽を共有できない。
それは、上手い下手の問題じゃないんですね。
やっぱりどの位、お客さんの事も考えながら演奏するかって事になると思います。
自分勝手な音楽は、どんなに立派な音楽でも受け入れてもらえない。


長くなりました。


次の練習も今回の練習のようにやると思います。
少しずつ完成度を高めつつ。



【2/23】
1900(40)1ステ「ちく混の成り立ち~公開練習~」
 基礎練習デモンストレーション(20分)
 カノン1曲
 久しき昔(7/イギリス)(ソルファと歌詞で)
 サンタルチア(13/イタリア)(同上)
 第九ダイジェスト「M~」(同上)
1940(15)連絡・休憩
1955(65)3ステ「ドイツの歌」&アンコール
 わが魂は待つ(1)
 ローレライ(5)
 ばらの花咲き(16)
 眠りの精(2)
 夜(28)
 神の栄光(34)
 七つの子
 かわいいあの娘





2月10日の練習

1900(27)基礎
1927(24)発表会レパ(ソルファで)
 01.わが魂は待つ
 02.眠りの精
 05.ローレライ
 07.久しき昔
 13.サンタルチア
 16.ばらの花咲き
 28.夜
 34.神の栄光
 七つの子
 かわいいあの娘
 第九
1951(16)発表会レパ(歌詞で)
 01.わが魂は待つ
 02.眠りの精
 05.ローレライ
2007(10)休憩
2017(50)発表会レパ
 07.久しき昔
 13.サンタルチア
 16.ばらの花咲き
 28.夜
 34.神の栄光
 七つの子
 かわいいあの娘
 第九
 (歌詞で)
 01.わが魂は待つ
 02.眠りの精
 05.ローレライ
 07.久しき昔
 16.ばらの花咲き
 28.夜
 (駄目出し練習)



今回の練習では、最初に全曲をソルファで通し、続いて歌詞で全曲を通し、最後にやれる時間だけ、特に良くなかったものを中心に駄目を出す練習だった。
今回は、特にソプラノの出席が少ないなど、必ずしもいい条件の練習ではなかったのもあって、各パートの音程もハーモニーも中々決まらないという厳しい練習だった。
しかし、今回の練習の主眼はともかく何があっても通して練習することだった。
1曲ずつ丁寧に練習する、つまり拙ければそこそこ上手くまでやり直すという練習だと良い音がすることも少なくないが、通しでやると上手く行かないどころか、破たんに歯止めが効かない負のループに入ることがある。
今回はそういう感じに近かったが、こうなることだって有り得るという事を知るのも良い勉強。
また、私も指揮者としてのサポートを出来るだけ少なくした。ある意味突き放したような練習だったが、途中、どんなにハモらず、気持ちの良くない演奏になっても自力で最後まで演奏しきることもまた大事。
本番は当然、1回しかない。どんなことが起こっても、歌い出したら最後まで止めることは出来ない。途中で上手く行かなくなったら、何とかそれを演奏しながら修正しなければいけない。

大事な事は、音楽をやる時に、それが例え練習であっても、今から歌うこの演奏が本番だというつもりがいつも必要。
どうしても「練習」というと、出来なければやり直して出来るようにするというのが、習慣の様になってしまって、最初から全力を傾けて演奏することが疎かになる。
本当は通し練習こそ練習の本流でなければいけない。
勿論、これからも時間の許す限り出来ていない所は少しでも出来るようにしなければならないけれど、一番大事なのは、演奏会全体を俯瞰して全体として良い流れと形にしなければいけないこと。これは何も演奏会に限ったことではなくて、実は練習そのものも逆にそういう考えで毎回やらないといけない。

次回の練習から、本番の流れで練習します。
勿論、多分最初は上手く行かないと思うけど、それをどうしたら良くなるか考えながら、少しでも良いものにしていきたい。



【2/16】
1900(40)1ステ「ちく混の成り立ち~公開練習~」
 基礎練習デモンストレーション(20分)
 久しき昔(7/イギリス)(ソルファと歌詞で)
 サンタルチア(13/イタリア)(同上)
 第九ダイジェスト「M~」(同上)
1940(15)連絡・休憩
1955(65)3ステ「ドイツの歌」&アンコール
 わが魂は待つ(1)
 ローレライ(5)
 ばらの花咲き(16)
 眠りの精(2)
 夜(28)
 神の栄光(34)
 七つの子
 かわいいあの娘

2月2日の練習

1900(27)基礎
 ユニゾン、スケール、パターン練習
1927(33)発表会レパ
 01.わが魂は待つ
 02.眠りの精
 05.ローレライ
 07.久しき昔
 (ソルファ&歌詞)
2000(13)連絡・休憩
2013(49)発表会レパ
 七つの子
 かわいいあの娘
 第九
 13.サンタルチア
 16.ばらの花咲き
 28.夜
 (ソルファ&歌詞)


とある合唱団で、演奏会が近いのでレパートリーの練習を優先したくて基礎練習を短くしたら、途端に音が不安定になりハモらなくなった。
どうしても演奏会が近づくとレパートリーの出来が気になるけど、そこを辛抱して基礎をしっかりやらなければいけないと痛感した。
演奏会の出来を気にするのは、一種のつまらない見栄だ。
その場しのぎ的、張りぼて作り的、対処療法的練習は、長い目で見て為にならないどころか、逆にそれで一見上手く行ったように思えると、それで良かったかのように思えるので、むしろ害になる。
例え目の前の発表会が上手くいかなくても、基礎に時間を掛けて力を堆積させて、いずれ揺らぎのない実力を付けることの方が、ずっと大事だと思う。
特にちく混は出来たばかり、発表会や演奏会は練習の一過程と考えた方が良いと思う。
性急に良い結果を求めるのは、決して良い事とは思えない。
じっくり行きましょう。
とは言え、いつも時間を掛けて丁寧にやって行くばかりが良いかと言えばそうではない。時間に甘えてはいけない。
出来ることはドンドンやって少しでも先へ行くつもりがないと、留まると力はむしろ衰える。時には無理も必要。
神経は常に少しでも鋭敏になるように磨いていないと、怠慢になって感性はどんどん落ちていく。
人間は、体力は年齢と共に落ちるけど、感性や知性は磨けば磨くほど鋭くなって、そこに終わりはないし、そこに尽きることのない楽しみがある。
常に磨き続けましょう。


今回のレパートリーの練習では、最初の音取りの練習も兼ねた。
この音取りに関して一言。
これは完全にお師匠さんの受け売りというか、影響だけど、音取りには拘りがあります。
よく見かけるア・カペラの合唱の音取りは、ピアノで取るか、ピッチパイプで取るか。
だけど、まずあのピッチパイプの音色はどうしても良いと思えないし好きになれない。合唱に馴染まないと私は思う。音程だって怪しいし。
アメリカのバーバーショップコーラスの場合は、必ずピッチパイプで取るが、向こうのピッチパイプはまだ音色が良いし、それすら演出にしているのでまだ許せる。
ピアノで取るのは、そこにピアノがあればいいのだが、そもそも無伴奏なのにピアノで取るのはなんかおかしい。
しかし、それでもそこにピアノがあれば、ピッチパイプで取るよりマシだと思う。
しかし、その場合でもそのピアノを弾いて取る時、例えたった一音叩くにしても誰でも良いというわけにはいかない。
やはり、ピアノが上手い人が取るのとそうでないのは、全然違う。これは実はピッチパイプで取る時も同じ事。上手い下手がある。
ともかく、だから、安易にピアノで音を取るのは反対。
ピアノじゃなくて電子キーボード、それも純正律が出るとか言うハイテクもので取るのも目にしたことがあるけど、正直意味が分からない。そんなのでルネサンスの曲なんかやったりするけど、昔の人がそんなもの使ってたわけないし、そんなことをしないとハモらないのかと言いたい。同じキーボードなら無味乾燥な音を出す電子楽器でなくピアノで取った方がずっと良い。
で、やっぱり何と言っても、人の声が楽器の合唱の場合は、人の声で音を取るのが当たり前にごく自然だと思う。
その為に、私自身は自分には絶対音感がないので音叉を使って取るしかない。
音叉で音を取る、これも実は凄く上手い下手があって、私は決して上手い方だとは思わないが、でもたとえ下手くそでも、声で取った方が絶対に良いと思う。
私はもう練習を含めてほとんどこれでやっているので、もうこの方法しかないと思っています。
音を取る時、あれはですね、実はソロで歌うのと同じぐらい緊張もし、大変なんですよ。曲に合わせて、音色を変えたり、長さを変えたりもするんです。ぶっきらぼうに出しちゃダメなんです。歌にしないと。たった一音デモ。
だから、ちゃんとその為の練習もします。例えば九大コールアカデミーで「音取リスト」と称するその責任重大な(何しろ彼が取り間違ったら滅茶苦茶になる)役目を担った者は、私に罵倒されながら泣きながら練習するんです。
でも、そうして気持ちを込めて自分の声で皆に音を伝えるという事そのものが、実に尊くて大事な事じゃないかと思うんです。
ということで、こっちも頑張って音を取りますから、皆さんもどうかしっかり音を取って下さいね。



【2/10】
1900(25)基礎
1925(35)発表会レパ
 01.わが魂は待つ
 02.眠りの精
 05.ローレライ
 07.久しき昔
 (ソルファと歌詞で)
2000(10)休憩
2010(50)発表会レパ
 34.神の栄光
 13.サンタルチア
 16.ばらの花咲き
 28.夜
 七つの子
 かわいいあの娘
 第九
 (ソルファと歌詞で)