7月29日の練習
【7月29日[1900-2045](パープルプラザ)】
1900(18)基礎
1918(14)カノン
129.みんな声をそろえて
130.歌え友よ
1932(17)讃美歌ARA読み
59.かみのめぐみ
1949(10)休憩
1959(25)讃美歌ARA読み(パート練習付)
59.かみのめぐみ
2024(21)愛唱曲集
25.庭の千草
26.夕べの歌
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実は毎回密かに感動してることがありまして。
カノンや讃美歌は、紛れもなく初見読みですよね。
簡単な曲とは言え、その場で楽譜を渡されて、何の楽器を使うことなく、自分で作り上げた頭の中のスケールを使って音符を読み、そして最初から合わせて(パート練習とかせず皆一斉にという意味です)歌詞まで付ける。
当たり前の様なこの音楽の作り方は、世間様的には珍しいらしい。
かく言う私でさえ、こういうことがごく当たり前になったのはここ数年です。
その当たり前になった事とは言え、皆さんが当たり前のようにそうやって音楽を奏でる瞬間って、結構感動的なんですよね。
無から有が生まれる瞬間に立ち会っているようで。
これがピアノなんかで音を与えられて、それを覚えて歌っていたら絶対にこうは思わないです。
決まっていることとはいえ、楽譜に書いてあることを一人一人が自分で音にする、それは楽譜の「再現」ではなく、どんなに稚拙でも「創造」の過程を見る思いがするんです。
いや、初見読みに限らず、メモリーで歌っているのではなく、その都度楽譜を「読む」作業をしながら歌っているのを見ると、同じことの繰り返しではなく、その都度の無からの創造作業に立ち会うような気がするんです。
勿論、メモリーで歌うことが一概に悪いことではありませんが。
オリンピック、そこではスポーツ各種目の世界最高レベルの超人的な技が繰り広げられます。通常の人間の業ではない、まさに神業です。
そして我々は、通常の人間を超えたその神の姿に感動します。
それも良し。
しかし感動はそういう神の領域だけにあるのではない。
人の心を揺り動かすものは、普通の人間から生み出される小さな創造の瞬間に立ち会う事からも十分に生まれる。
むしろ、なにげない日常の中で、そういうことがなにげなく起こる感動の方が、大神殿で仰々しく行われる神の祭典よりも、もしかしたら大事なんじゃないかと思ってしまいます。
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【8月5日[1900-2045](パープルプラザ)】
1900(20)基礎
1920(15)カノン
131.ともに歌わん
132.いっしょに歌おう
1935(15)讃美歌ARA読み
60.いずこにみたみの
1950(10)休憩
2000(15)讃美歌ARA読み
60.いずこにみたみの
2015(30)愛唱曲集
27.若者の歌
28.夜
29.踊りの歌