ちくしの混声合唱団

福岡県筑紫野市で活動している「ちくしの混声合唱団」です。
毎月3回、木曜日か金曜日、19時から21時、筑紫野市文化会館を拠点に練習しています。
現在メンバーは40名程。主婦、サラリーマン、学校の先生、OL、学生さん等々。
老若男女何方でも、いつでも練習参加、見学、入団できます。

合唱経験の有無は全く関係ありません。
初心者の方、大歓迎です。
楽譜が読めない方も、とりあえず読んで歌えるようになります。
是非お気軽にお出で下さい。

お問い合わせは、このブログにコメントをお願いします。

6月7日の練習

1900(25)基礎
1925(50)演奏会レパ
 [5ラウンド(ソルファ→Ah or La)]
 庭の千草
 アビニョンの橋の上で
 はるけき森を
 マギー若き日の歌を
2015(15)休憩
2030(30)演奏会レパ
 かわいいあの娘
 春の歌
 兵士
 ばらの花咲き
------------------------------------------------------------


「出」と「切り」
言わばこれは、音楽の始まりと終わりだけど、実は完全に表裏一体。
ちゃんと「出」たかったら、ちゃんと「切る」以外にない。
例え曲の最初であっても、要領は一緒。
ちょっとゲージツ的に言えば、曲の始まりは、その前の日常からちゃんと「切り」離さないと、非日常の音楽はちゃんと「出」ない。
最初の「出」から曲の最後の「切り」までが上手くいってこそ良い音楽になる。
もっと「出」と「切り」、特に「切り」に執着して、もっと美しい「切り」を、もっと美しい音の終わり方をイメージし、どうしたら良いか考えて欲しい。
それだけで、音楽は格段に良くなる、というより、別次元のものになる。
特に、アンサンブルの場合は、それがみんなで揃っているか否か、或いは揃う事を美しいと思い、大事にしようと思っているか否かで、この団体が本当にアンサンブルをやっているのか、アンサンブルを大事に思っているのか、それとも単に一人一人勝手に歌いたいだけの集団なのかが、バレてしまう。
「出」や「切り」は揃えるものではない。
其々がちゃんとイメージして、大事に思ってやれば、結果的に「揃うもの」
なにより、揃った時に「素晴らしい、美しい」と感動し、「次も揃いたい」と願うかどうか。
音程もそうだけど、もしかしたらそれ以上に、こちらの方が、大事かもしれない。


ベートヴェンや、ブラームス、モーツアルト等々のシンフォニー等のクラシックの一流の良い演奏を聴きましょう。
そういう「出」や「切り」も含めて、何よりのお手本。
とにかく美しい。力強い。
一流の演奏家たちの演奏が我々を感動させてくれるのは、意外とそういうところだと思います。
小手先の技術ではなく、そういう感性が自分の中に出来ることが、何よりも大事だと思います。


さあ、あと本番まで9回です。
チラシとチケットも出来てきました。
せっかくなら、出来るだけ良い演奏を目指しませう。


------------------------------------------------------------
【6月21日(木)】⑨
1900(25)基礎
1925(35)演奏会レパ
2000(10)休憩
2010(50)演奏会レパ


 [5ラウンド(ソルファ→Ah or La)]
 ばらの花咲き
 友よ手をのべて
 おおひばり
 遥かな友に
 [6ラウンド(La2回)]
 おしえ給え神よ
 いざやともに
 Sanctus
 Ave Maria
 朧月夜
 たなばたさま
 小さい秋みつけた
 雪
 ふるさと
 庭の千草
 アビニョンの橋の上で
 はるけき森を
 マギー若き日の歌を
 かわいいあの娘
 春の歌
 兵士

×

非ログインユーザーとして返信する