ちくしの混声合唱団

福岡県筑紫野市で活動している「ちくしの混声合唱団」です。
毎月3回、木曜日か金曜日、19時から21時、筑紫野市文化会館を拠点に練習しています。
現在メンバーは40名程。主婦、サラリーマン、学校の先生、OL、学生さん等々。
老若男女何方でも、いつでも練習参加、見学、入団できます。

合唱経験の有無は全く関係ありません。
初心者の方、大歓迎です。
楽譜が読めない方も、とりあえず読んで歌えるようになります。
是非お気軽にお出で下さい。

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9月28日の練習

1900(20)基礎
1920(36)ハモフェス
 眠りの精
 Shenandoah
 鯉の瀧のぼり
1956(12)連絡・休憩
2008(52)ハモフェス
 Ave Verum Corpus
 Frölich fangt alle an(Kanon)
 上を向いて歩こう
 Shenandoah
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合唱団によっては、「自宅で予め音を取ってきて、或いは自宅で練習してきて、でないと仕上がらないよ」という団体があります。
それは予習だったり復習だったりですが、要は自宅練習、或いは自主練習ありきの団体です。
実際、九響合唱団なんかまさにそうですね。
それは、例えば練習をする立場からすると、勿論有難いことだし、確かに全体の仕上がりは早い。
全体の練習では、アンサンブルの事を中心に考えれば良い。
でも、私はあえてそれを強く推奨するつもりはありません。
やりたい人はやればいい、或いは、自分でやる必要があるなと思う人はやればいい。
日常の生活の中で、少しの時間でも楽譜を開いて、たとえ音を出さずとも音楽の事を考える事は、素敵な事です。
でも、それが義務の様になってしまっては、本末転倒。
あくまでその時間が好きな趣味の時間の一つにならなければいけない。
ある知り合いの主婦が、料理を作りながら鼻歌で練習するのが楽しい、と言っていましたが、そういうのが理想的かもしれない。
しかし、基本はみんな忙しい日常を送っていて、そんなことすら思い浮かばないことが多いでしょう。
逆に、だからこそ、そういう忙しい時間を癒すために、週に1度程度、特別に時間を作って、わざわざ足を運んで参加費を払って練習に来て音楽を楽しむわけです。


アンサンブル全体の事を考えると、厳しく言えば、そこにたとえ一人でも音が取れていないメンバーがいると、乱れが生じます。
なので、集まって歌う時に、みんなが気持ちよくアンサンブル出来る為には、個人のそうした責任はどうしてもある程度免れない。
とは言え、我々はアマチュアなので、様々な音楽的レベルと、様々な生活のバックグラウンドを背負って、その上で集まって楽しんでいますから、その点に関しては、当然、お互いに寛容でないといけません。
逆にその上で、個人としてどう考えるかというのもあります。
陳腐な言葉になりますが、これこそ所謂「思いやり」だろうと思います。


その上で、前に戻りますが、だからと言って、出来ていないところを必ずしも自宅で見て来いとは言いません。全体の事を考えて「出来れば見てきて欲しい」とは言いますが。


それよりも大事なことは、練習のその場で、なんとかしようと必死に足掻くことです。
例えば自分のパートの練習をしている時は、他のパートの人たちの時間を、完全にとは言わないまでも無駄にしています。そうすると厳密に言うと同じ参加費を払っているのに、与えられる歌う時間に差が出来てしまうわけです。勿論、これは全体の事を思えばそれも仕方のない、必要な事ですが、しかし、そういう自分(達)の練習をしている時に、もしかしたら人の時間を無駄にしているかもしれない、と考える意識は必要です。
だからこそ、後で持って帰って歌える様にしようではなく、その場でなんとかしようと頑張る姿勢が肝心です。
ちく混の皆さんにそれが無いとは言いません。むしろ多分他の団体に比べると、譜読み中心の練習をしているので、そういう意識はとても高いと思います。
でもまだ甘いかもしれない。


私の恩師の藤井先生もそうでしたが、かの炎の指揮者、コバケンこと小林研一郎先生も、同じ事を3回間違えるのを許してくれませんでした。
3回間違えると、お二人とも全く同じように「君達は何か私に悪意があるのか!」と怒って怒鳴って言われました。
ビビりましたね。
でもそれは後から良く考えると、3回間違えた、その技術の足りなさに対する叱責ではなく、その間違いを、1回目より2回目、2回目より3回目に、その場で必死に何とかしてリカバリーしようというその姿勢のなさ、甘さが、何より問題だったんです。
そしてそれは、4回、5回と何度やっても結局できない可能性が高くなるということ。
また、その時、心のどこかで「後でなんとかしよう」と思っているわけですが、その「後で」は大体もう永遠に来ないということです。
まず何より、「その場で何とかする」という強い意志がとても大事だという事ですね。


話がデカくなりますが、大体、人の人生は間違いの連続のようなものですから、「いつも2秒に一度反省(藤井先生談)」して、少しでもその場で修正しながら精進したいものです。


練習の時間自体が、そういうことも含めて人生の中の充実した一時の時間になると良いと思います。


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【10月5日】③
1900(20)基礎
1920(35)ハモフェス
1955(15)連絡・休憩
2010(50)ハモフェス


 眠りの精
 Shenandoah
 鯉の瀧のぼり
 Ave Verum Corpus
 Frölich fangt alle an(Kanon)
 上を向いて歩こう

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