ちくしの混声合唱団

福岡県筑紫野市で活動している「ちくしの混声合唱団」です。
毎月3回、木曜日か金曜日、19時から21時、筑紫野市文化会館を拠点に練習しています。
現在メンバーは40名程。主婦、サラリーマン、学校の先生、OL、学生さん等々。
老若男女何方でも、いつでも練習参加、見学、入団できます。

合唱経験の有無は全く関係ありません。
初心者の方、大歓迎です。
楽譜が読めない方も、とりあえず読んで歌えるようになります。
是非お気軽にお出で下さい。

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3月2日の練習

【3月2日(二日市東コミュニティーセンター)】③
1900(20)基礎
1920(40)ハモフェス
 湖畔の夕べ
 しのびよる夕風
2000(10)休憩
2010(50)ハモフェス
 ホパック踊れ
 崖しも知られぬ(讃美歌74番)
 Alleluia
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久々の東コミュニティーセンターでの練習でした。
ハモフェスまで残り3回の練習。
前の練習から2週間空いて、次の練習まで2週間空くという日程的にある意味大事な練習でしたが、自画自賛っぽいですが内容は悪くなかったと思います。
どの曲も主に様々な歌い方に焦点を当てての練習になりました。
色々つつきました。音程の事、フレージング、アーティキュレーション、母音や言葉の発音、発語の事、音の切り方、出方、ブレスの取り方、速度、夫々の曲の様々な個所に色々な事が言えるわけですが、私の言ったことが全て正解と言う訳でもなく、絶対にそうして欲しいと言う訳でもなく、それはあくまで解答というか表現のアイデアの一つであって、大事な事は、そういう神経を配りながら歌っているかどうか、という事だろうと思います。
それも人に聴かせるために見栄え良く技術的にそうするのではなく、むしろその音楽や言葉そのものに対するリスペクトとか、皆で更に良いアンサンブルにする為のより良い方法として、或いはより美しい音楽、荘厳な音楽を創る為にそういう神経を配る、という事だと思います。
おおらかに歌う事も大事だけれど、やはり大人には大人に合った、或いは大人でしか出来ない歌い方があって、それは子供の無垢な歌い方とは当然違うものなはずです。
出来る出来ないは二の次で、そういう気配りをした方が、結果的に聴いていても心に来るものがあると思います。


昔の日本には「言霊(ことだま)」があったと言われますね。別に宗教的な意味合いでなくても、或いは日本に限らず、確かに言葉に対するリスペクトとか、その大切さや、言葉そのものへの美的感覚は、今よりずっと高かったのではないかと思います。今はなんでも効率化されてしまって、例えば現代の日本語の母音は「あいうえお」の5つだけですが、昔はもっとあったし、方言などを入れるとそれこそ無数にあったはずです。それ程、言葉に微妙なニュアンスを感じることが出来ていたし、それを使い分けていた。
世の中がグローバルになればなる程、逆にそうした繊細な感覚は失われていく。地方文化が廃れて行って、どこに行ってもスタバがあるのと同じです。
音楽にもそういう傾向がある。
電子楽器で作る音楽は、いつでも誰でもどこででも全く同じように再生することが出来る。その意味ではそれらは常に完璧に美しい。間違えることが無い。商品価値を失わない。
メディアはもとより巷に無制限に流れている音楽は、全てそういう音楽です。
昔は、音楽はその全てが人が奏でる「生」のものだった。
昔と言っても、それこそ録音技術が出来るおよそ200年ぐらい前までは、そうだったわけです。
今でいう、クラシック音楽の大半の作品はその中で生まれたものです。
そして「生」のものでしか伝わらないものがある。その場でしか伝わらない微妙なニュアンスがある。
ともすれば、現代の我々は「生」でない音に慣れ過ぎている。テレビの音声ですらそうです。テレビの中のアナウンサーやタレントが発する言葉は、どんなに上手くてもそれはテレビのスピーカーの音であって、彼らが本来発している音のごく僅かしか拾っていないし、聴いていない。逆に彼らもそれが分かっているから、ある意味適当に喋っているし、それを分かって耳障りの良い言い方しかしない。決して「生」の声ではないし、もっと言えば、その姿も「生」ではない。それらはあくまでも切り取られ、編集された音声であり姿です。
そう考えてみると、実はそうして我々が「生」なことを体験しているのは、実に狭い範囲だということが分かります。家庭とか職場とか家の周りとか、そしてこういう合唱団の様なコミュニティーとか。
つまり人間が本当に「生」を感じることが出来るのは、せいぜい手の届く範囲、目の届く範囲、声の届く範囲なんです。
昔に比べると、そういう本当の「生」に接している時間が、極端に減っている。特にこのコロナとやらで、人に接することを逆に禁じ、マスクで顔を覆い、パソコンやスマホを触る時間が増え、オンラインとかリモートとかが当たり前になってしまって、まるで「生」に接する事が逆に悪い事の様に思わされている。


そういう意味では、こうやって集まって合唱することは実に貴重な時間だと言えませんか。
変に話しが長くなってしまいました。
まあ、せっかく「生」の音楽を楽しんでいる我々ですから、それを十分に楽しみたいと思います。


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【3月16日(筑紫野文化会館多目的ホール)】②
1900(20)基礎
1920(35)ハモフェス
1955(10)基礎
2005(55)ハモフェス


 湖畔の夕べ
 しのびよる夕風
 ホパック踊れ
 崖しも知られぬ(讃美歌74番)
 Alleluia

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